[座猫黒★屋小物世見]

 男はとことん不幸だった。はあ、とため息を吐きつつ背中を丸めて、寂しい夜道を歩いている。街灯が殆ど設置されていないせいか辺りは真っ暗である。

 服を着替えたいなア、と黄ばんでヨレヨレになったTシャツの衿を掴んで男は思った。あと二、三回マックに行けるなア、と汚れたジーパンのポケットを撫でながら思った。煙草の自販機を見つけて、釣り銭が出てくるところを探ってみたが収穫はなかった。ふと妻と子供の顔を思い出して、泣きそうになった。アア、俺に甲斐性がなかったばっかりに……と、伸び放題の髭に触れて嘆いた。そして突然、風俗のネエチャンが恋しくなった。

 男はとうとう泣き出してしまった。涙を目やにごと手の甲で拭い去り、寝所にしている公園が近くなってきたところで男はオヤ? と、首を傾げた。

 公園が煌々としているのだ。原因はクリスマスツリーに飾るようなあの電飾が、公園を囲んでいる木々に巻かれているからだ。ハテ祭りか何かかと思ったが、しかしここに来るまでの間に人通りはなかったゾ……と訝しんで、とりあえず男は公園に入ってみた。

 公園の真ん中に木と同じように電飾の巻かれた、赤と白の縦縞模様のテントがあった。掲げられた看板には「座猫黒★屋小物世見」と、筆字で書いてある。……見世物小屋★黒猫座? 男がやや判読に手間取っている時、少女が二人、男に近寄って来ていた。

「見世物小屋だよ! 面白いものあるよ!」
「入って入って!」

 男はぎょっと肩を跳ねさせて少女の方を見た。少女は二人とも色違いで水玉柄のワンピースを着ていて、右の子は黒地に白の水玉、左の子は白地に黒の水玉だった。互いにそっくりなくりくりとした目と林檎のような赤い唇を有した顔に、おかっぱ頭の上にはそれぞれのワンピースとお揃いのリボンをつけている。たぶん双子なんだろうと思われた。

「いや、俺は……ワワ、ちょっ」

 双子の少女は戸惑っている男の背中を「はやくはやくー!」「入って入ってー!」と騒ぎながら押していった。強引に押し込められる形で男はテントの入り口をくぐり、並んでいるパイプ椅子に座らせられる。すると、少女たちは去っていってしまった。

 男の他に観客はいない。派手だった外観と反して中は、羽虫がたかっている電球が一ツぶら下がっているだけで薄暗く、目の前の舞台は狭そうで貧乏臭い。舞台の左端に置いてあるめくりには「毛皮を着た達磨」と、書いてあった。

 ナンダナンダ……男が腰を上げようとしたその時、赤白縦縞の幕が揺れて、舞台袖から毛むくじゃらの塊が台車に乗って出てきた。ベストとスラックスの執事のようなスーツを着て、モノクルをかけた老人が台車を押している。

 老人は舞台の半ば辺りで止まると、台車を男の正面に向けた。男は「アッ」と小さく声を上げる。

 毛むくじゃらの塊の正体は、鳶色の毛皮を裸身の上に羽織っている女だった。烏の濡れ羽のような艶やかな黒髪をワンレンにして、不機嫌そうな顔をしている。

「おい、煙草」

 そして女には手足がなかった。老人がベストの胸ポケットからシガレットケースを取り出す。一本引き抜いて、女の口にくわえさせるとライターで火を点けた。

 男は女に目が釘付けになってしまった。女が煙を吐く為に老人が時折女の口から煙草を離し、またくわえさせる。そうしてフィルター寸前まで短くなった煙草を、老人は気でも狂れたのか自分の舌で消した。

 そして、老人は女を自分の方に向かせて正座する。女が老人へ理不尽な説教をはじめた。

「この、奴隷爺めが!」

 老人はただ「申し訳ありません」と繰り返している。女は老人のことを「老いぼれの豚が!」などと暴言を吐いたあと

「ほら、噛まれたいのなら手を出しな!」

 と、歯をカチカチ打ち鳴らした。老人は従順に皺々の手を女の口元へ寄せる。女はその人差し指に思いっきり噛みついた。

 老人はじっと痛みに堪えている。やがて老人の手が血まみれになると、女は口の中の血をペッと吐いた。

「ああ不味い。ほら、帰るよ!」

 女が怒鳴る。老人は立ち上がると、台車を押した。舞台から退く直前、老人は紙に血をつけながらめくりを捲った。「蟲男」。

 一体何だったんダ……と、男が呆気に取られていると幕が揺れて、袖から蟲男が現れた。つるつるに剃られた頭と眉、蝋のように白い肌。ひょろ長い体は上半身裸で、下は丁度少林寺拳法の道着のような橙色のズボンを穿いている。そして水の入っていない水槽を抱えていた。

 水槽の中には大ムカデ、ゴキブリ、カミキリムシ、その他断定出来ない色々な虫が犇めいている。蟲男は舞台の真ん中まで来ると、水槽を置いてドカッと座った。蟲男は水槽の中へ手を突っ込むと大ムカデを無造作に掴み、取り出して、手の中で蠢動している虫の頭を躊躇うことなく噛み千切った。

 男は思わず「ヒィッ」と小さく悲鳴を上げた。蟲男は得意げに笑いながら、その頭を咀嚼する。大ムカデの断面から白っぽいクリーム状のものがはみ出していた。頭を飲み下した蟲男はクリームにしゃぶりつき、そのまま体を貪りはじめる。生命力の強い大ムカデの足が恨めしげに動いていた。

 グロテスクな光景に男は目を覆った。が、怖いもの見たさに恐る恐る指の隙間から覗いてしまう。蟲男は大ムカデをすっかり食べてしまうと、今度はゴキブリを掴んで先程と同じように頭を噛み千切り、胴体の中身を吸った。咀嚼して飲み下す。それを繰り返し、遂に水槽の中の虫たちは残り僅かになってしまった。

 男の食欲は消え失せそうだった。小銭で膨らんだポケットにそっと触れる。明日にでも行こうと思っているマック、肉にミミズが混じっていたらどうしよう……と、男は下らない妄想をしてしまった。

 蟲男が最後の一匹、カミキリムシを口に放り込んだ瞬間ハプニングは起こった。小さい虫だから油断してしまったのだろうか。蟲男は「ウッ!」と声を上げて、慌ててカミキリムシを吐き出した。唾液に塗れたカミキリムシは床に着地するとさっさと逃げ出す。蟲男は舌を突き出して、涙目になっている。舌を噛まれたのだ。

 カミキリムシに仇討ちされてしまった蟲男。何だか滑稽で男は笑ってしまった。蟲男は顔を真っ赤にして、水槽を片手で持つと立ち上がり、小走りに袖へと向かう。舞台から去る直前、めくりを捲った。「ふたなりヱンジェル」。

 サア、次は何が来る。男はもうどうにでもなれといった心境で舞台を凝視した。やがて幕が揺れて、その小柄な人影はクルクルと回転しながら飛び出してきた。美事な飛躍をして、舞台の真ん中に着地した瞬間、ふわっとめくれたチュチュと肩で跳ねる金髪の縦ロール、背中から舞い散る羽毛。

 男は目をパチパチと瞬かせた。てっきりまた奇怪なものを見せられるのだろうと思っていたら、現れたのはフランス人形のような容姿をした美しい少女のバレリーナ。

 バレリーナは男に向かって、ふふっと微笑むと踊り出した。背中をパックリ開いた上衣から、回転する度に覗かせる直接生えているように見える羽根は、男の首を傾げさせたが男はすぐにそんなことはどうでもよくなった。

 夢みたいな、美しい光景だ。こんなに綺麗なものを見たのは何年ぶりだろう。昔、娘と一緒に見た遊園地のパレードの思い出が男の脳裏に掠めた。お姫様があんな風に華麗に踊っていたなア。娘はキャッキャッと手を叩いて、喜んでいたなア。……バレリーナは踊り続けている。男は夢中で眺めた。

 踊りが終盤に近くなってきた頃だろうか。飛躍から着地して、バレリーナは回転しながら両手を高く上げた。その手の平からまるで水芸のように羽毛が吹き出す。辺り一面、羽毛布団を切り裂いたようになった。

 視界が真っ白になった途端、急に男の意識は遠くなっていった。ぼんやり、これは凄い手品だなアと思った。羽毛がはらはら落ちていくと、隠されたバレリーナの姿が上半身だけ露わになった。バレリーナは裸になっていた。

 オオッ……こんなサービスまでアリか。男の翳んでいく目はバレリーナの幼い、膨らみの未発達な乳房を認めた。そして、羽毛が完全に落ち切ると同時に男の意識は暗転した。

 暗転する直前、男は気のせいだと思える一瞬の間に、バレリーナの魔羅を見た。


 明け方の公園のベンチで男はハッと身を起こした。辺りを見回したがテントはもう存在していない。木に電飾も巻かれていない。錆びたジャングルジムや、ブランコなどの遊具があるだけだった。

 ナンダ、夢か。と、男はモジャモジャの頭髪を掻き上げて、ふとある違和感に気づいた。ポケットに入れておいたはずの硬い感触がないのだ。手を突っ込んで確認してみた。ない。

 ちゃっかり、代金は取られていた。男はこれから先のことを考えて頭を抱えた。しかし暫くすると「マァ、イッカ」と呟いて、男は何故だかとても晴れやかな気持ちになっていた。



 END.



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